住友人物列伝
伊庭貞剛
~経営哲学と環境への影響~
1909(明治42)年の四阪島全景。四阪島製錬所は1905(明治38)年から操業を開始した。写真提供:住友史料館
総理事時代の伊庭貞剛。大阪で撮影されたもの。写真提供:住友史料館
第二代住友総理事の伊庭貞剛は、明治時代の経営者で、日本の環境問題の先駆者とされています。彼の活動は、住友グループの業務や環境への配慮に多大な影響を与え、彼が抱いた「公利公益」の理想は、現代の環境問題とも深く関わっています。
1879(明治12)年に住友に入社し、大阪本店の支配人に就任した伊庭は、企業理念に共感し、地位や蓄財を求めるのではなく、ビジョンの実現に努めました。「君子財を愛す、これを取るに道有り」という彼の哲学は、利益追求が人道に合致すべきだと説いています。
明治時代中頃、別子鉱山で亜硫酸ガスによる煙害問題が発生し、伊庭は製錬所を新居浜から約20km離れた四阪島に移転する決断をしました。また、山林保護の方針を策定し、焼鉱や製錬の停止、燃料を薪炭から石炭に転換する取り組みを進めました。
彼の植林事業は劇的に拡大し、毎年100万本以上の木が植えられるようになりましたが、製錬所の操業後も煙害問題は続きました。伊庭は「現実問題に直面するが、理想を忘れてはならない」と述べ、理想を失わずに取り組み続けました。生前に煙害の完全解決はかないませんでしたが、その努力は未来に向けた大きなビジョンを示しました。
伊庭の晩年の言葉「別子の植林こそが私の本当の事業」は、今日の環境問題に対する重要なメッセージです。伊庭の業績は、住友の発展を支えつつも、思考と行動は持続可能な未来を築く道標となっています。