佐野 裕昭 知的財産部長

複眼的視座で世界を見る 「地動説でものを考える」知的財産の仕事

光ファイバ技術の大きな転換期

私は入社後、横浜研究所(現・光通信研究所)に配属され、光ファイバの研究に従事することになりました。学生時代の専攻は高分子化学で、「光学」や「通信」に関する知見は持ち合わせておらず、不安があったことは否めません。しかし、時代が味方してくれました。当時光ファイバの被覆技術が大きく変化した時期で、従来の熱硬化樹脂から紫外線硬化樹脂への転換に学生時代取り組んでいた高分子合成の知識が活きる環境が生まれたのです。光ファイバは多彩な複合技術で成り立っており、私は1年目にして紫外線硬化樹脂に関しては専門家として材料とプロセスの開発を任されるようになりました。紫外線硬化樹脂の紡糸(線引き)プロセス開発では、それまで50m/ 分だった製造速度を、(実験レベルで)1,300m/ 分へ向上させるなど、着実に成果が生まれていく中で、研究の楽しさを実感しました。その後、光ケーブルとその敷設方法の研究に取り組み、現在の光通信線路の基盤技術の開発に携わりました。現在の私の業務である知的財産(以下、知財)には、研究時代から、競合への特許ライセンスやお客様主催の技術コンペのための活動などで技術者として関わっていました。このような活動を下地として、1997年に知的財産部に移り、光通信分野の特許係争の場に身を置くこととなりました。

研究時代に携わった光ケーブルの敷設技術が外部表彰を受賞 「平成5年(1993年) 機械振興協会会長賞」
研究時代に携わった光ケーブルの敷設技術が外部表彰を受賞 「平成5年(1993年) 機械振興協会会長賞」
研究時代に携わった光ケーブルの敷設技術が外部表彰を受賞「平成5年(1993年) 機械振興協会会長賞」

特許が生み出す市場環境の優位性

1990年代後半には国内の光ファイバ網の敷設がほぼ完了することが予想されていました。これは国内での光ファイバビジネスが困難になることを意味します。このため、海外市場への事業展開を検討していました。その一つが米国。しかしそこには、特許訴訟によって1980年代末に当社の米国進出の夢を阻んだ世界最大の光ファイバメーカーであるコーニング社が立ちはだかっていました。我々は米国市場に本格参入し、広く世界に住友電工の技術で貢献するために、1990年代を通して、光通信分野の研究者の多くが知財に関わる取り組みを行いました。コーニング社をはじめとする競合社の技術を精査・研究し、どのような特許を取得すれば対抗できるか検討を進めました。そして長い準備期間を経て、2000年9月にコーニング社への特許侵害訴訟提起を行いました。当社の事業部、研究、法務部と連携して米国に渡り、先方と交渉を重ね、結果として満足を得る着地点を見出すことができました。この取り組みは、特許権の活用による事業の自由度を確保する上で大きな成果でした。市場において競合社の事業を直接的に制限できるのは、特許など知的財産権の活用しかありません。この他、欧州や国内競合社とのクロスライセンスなど多くの契約を締結し、当社のグローバルな事業活動への制約がない状況を獲得しました。この光ファイバ特許の訴訟・交渉を通じて「知的財産権は市場環境を自社に優位になるよう変えていくことができる」ことを改めて認識し、事業戦略と知財戦略が整合的に立案され実行されることの重要性を痛感しました。

その後、2006年に再び研究開発部門に戻り、光ファイバの技術開発を担当した後、研究統轄本部に移って全社の研究テーマの予算や進捗の管理を進めました。この業務で全社の技術、製造現場、事業部など、住友電工の保有する多様な技術とビジネスモデルを知ることができたのは、その後の知財の仕事に大いに活きることとなりました。

知財はビジネスで勝つためにある

2012年に知的財産部長に着任し現在に至っています。1990年代から2000年代にかけて、当社のみならず日本の多くの製造業は、中国など新興国市場についての知財戦略に関して大きな失敗を犯しました。この時期の競合先は国内か欧米企業であり、技術開発競争と併せて、大量の特許出願を国内と欧米に向けて行いました。それは、中国など新興国の後発企業への日本の技術流出の大きな要因になったと思います。また、当時は技術開発に注力し製品の品質や機能といった技術を武器にして事業拡大を図ってきましたが、2010年代以降、技術力だけで差別化することは難しくなっています。現在の世界市場のボリュームゾーンは新興国であり、品質とコストのバランスが市場に受け入れられることが求められています。そうした環境変化を受けて、知財部門の業務も変わらなければなりません。自社発明品を守る営業秘密管理、営業秘密の公開を条件に得られる排他的実施権= 特許権、自社製品の市場での優位性とユーザーの利便性を確保するために技術を共有する技術標準化、これらを事業戦略と一体化して進めることが、事業の継続的発展には不可欠であると考えています。こうした考えで、私は約10年間知財に取り組んできました。かつてのような出願数の拡大を求める知財活動から、権利活用を見込んだ質重視の戦略的な出願に移行しつつあります。さらに、知的財産活動の一部として営業秘密管理や標準化をとらえ、知的財産としての取り組み範囲を拡大しています。近年は、各事業部門の海外への拠点展開や標準化活動について相談や支援の要請を受ける機会が増え、知的財産の観点からの活動の強化を進めています。

こうした知財戦略において重要なことは、「視点を変えること」。当社はお客様に向き合ってお客様にとって最善となる製品を提供してきました。お客様からの情報で市場動向や競争環境を量ることは重要ですが、国際関係や産業構造が劇的に変化しつつある現状においては、より広い社会変化に目を向け、市場に影響を与える多くの要因を俯瞰的にとらえる、複眼的な視座を持つ必要があります。それは、私流に言えば「地動説でものを考える」ということです。企業は自社主体に、天動説的にものを考える傾向があります。しかし、地球が自転・公転しているのと同様に世の中は動いています。社内以上に社外に目を向け、その動きを認識・把握することが重要です。これは、知財に関わる者のみならず、多くのビジネスパーソンに求められていることだと思います。今後、注力していきたいのは人材育成。知財の仕事に限らず、すべての企業人の目標は自社がビジネスで勝つこと。その目標のために個々の仕事があるというマインドセットを進めると同時に、必要とする人には私がこれまで蓄積してきた知見のすべてを伝えていきたい。住友電工には他社にはない多様な技術と事業があります。それらを収益につなげ、企業の継続的発展を推進する際に、知財の視点で事業戦略を考えることが役に立ちます。若い人には、長期的な視点で世の中の動きを見て、知財を含む多様なアプローチで次代の事業戦略を考えていってほしいと思っています。

PROFILE

佐野 裕昭

1984年4月
住友電気工業(株)入社

1984年7月
横浜研究所(現・光通信研究所)配属
光ファイバ被覆材料と紡糸プロセス開発を担当

1997年7月
知的財産部に異動
光通信分野の出願権利化、ライセンス交渉・訴訟を担当

2006年3月
光通信研究所 光材料機能応用研究部長
光ファイバとその技術を応用した製品開発を担当

2009年4月
研究統轄本部企画部長 兼 NEXTグループ長
全社研究テーマの評価と事業支援、新規テーマ探索担当

2012年4月
知的財産部長

(社外)
2016年~2017年
日本知的財産協会 常務理事
2018年~2020年
同上 副理事長
2012年~2016年
大阪発明協会 理事
2017年~現在
同上 常任理事

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