経理の現場で学んだ経営の原点
私が住友電工に入社した当時は、ちょうど光ファイバーの黎明期で、通信事業がこれから伸びると考えて住友電工に就職しました。
配属は経理部。伊丹製作所でブレーキ製品の原価計算を担当したのが最初の仕事です。ブレーキの図面に基づいて、一つひとつチェックしながら部品転換表にコストを入れていく作業でした。経理部の部屋に大型の計算機が5台しかなかった時代です。ですから、私の計算はそろばん。以来、経理畑を歩んできました。
仕事の基本を学んだという点では、大阪製作所の経理課にいた12年間は貴重な経験だったと思っています。送電線工事の経理を担当しました。イランの送電線工事、サウジアラビアの地中線工事など海外の工事が盛んに行われていたころです。工事の経理担当は、海外の現地から銀行通帳や現金出納帳をもらって国内で経理勘定に振り分けます。トータルの工事費予算の中で、いまこれだけ使っていると工事担当部門に伝えることが私の仕事でした。ここで、現場でどういう作業が行われ、どこで費用が発生するのかを知ることができました。
一方で、税務調査でいちばん標的になりやすいのも工事関連の費用です。現地で交際費等の支出が発生しますし、工事完了後は残材処理も問題になります。こちらは正しく処理していますから問題ないのですが、税務調査官は細かく質問してきます。必要な資料をかき集め、納得していただけるまで説明しました。
大阪製作所では、工事経理のほか、システム製品、研究開発、電力機器など、ほとんどの部門経理を担当させてもらいました。
この経理部門での経験が、仕事を進める上での原点となりました。数字の細かいチェックを通して、問題の本質を見極める能力が身についたと思います。
経営不振の海外子会社を再建せよ
1990年、転機が訪れます。
アメリカのワイヤーハーネス製造子会社が債務超過に陥ったので、経理マネージャ―として出向することになったのです。入社してすぐにナイジェリアへ経理担当として赴任したことがありますが、管理職としては初めてでした。
ここからの海外経験が、私の経営者としての方向付けを与えてくれました。
アメリカに赴任して最初に困ったのは、意外かもしれませんが、給与計算と源泉所得税の納付です。従業員が1万人もいたうえに、アメリカは週給制なので毎週給与計算をして小切手を切らなければならない。作業量は月給制の日本の4倍になりました。大阪での経験がなかったら対応できなかったでしょう。
再建は苦難の連続でした。
住友電工に増資をしてもらい基盤を盤石にするとともに、お客様に値上げをお願いして、何とか立て直しを図りました。製造コストを下げるため、人件費の安いメキシコの会社を買収し、工場移転も行いました。私にとっては初めてのM&Aの経験でした。
アメリカでの再建を果たし、6年半ぶりに大阪に戻って落ち着き始めたころ、今度はインドネシア赴任の辞令が届きます。住友電工が出資した電線会社がアジア通貨危機で業績不振となり、再建を図れというものでした。
1998年、ジャカルタ暴動が起こった2週間後に赴任。しかし、2年経ってもインドネシア国内の市況は回復しません。
それならばと、インドネシアで製造したものを日本に輸出して日本で売るというスキームを作りました。これが奏功し経営は回復へと向かいました。同時に現地法人の子会社の社長も兼務することになり、営業や資金繰りの厳しさも学びました。
2001年に再び日本に戻り、その後、住友電装に転籍して役員に昇格したころ、住友電工に呼び戻されます。
2008年、今度はリーマンショックでした。ドイツの子会社が債務超過に転落したというのです。どうも私の海外赴任は、世界の経済情勢が激しく変動したときと重なっているようです。このときは、旧経営陣のリストラも敢行しました。トップが会社の再建に向けて覚悟を示すことで、部下の皆さんもやる気を出してくれました。
トップに立つ人間が諦めると必ず部下に伝わります。これくらいで仕方ないと口に出せば部下も諦めます。だから、弱気な発言はしない。常に心掛けていたことです。
こうして社員一丸となって、再建の道をたどることができました。
海外子会社再建の仕事はどれも厳しいものでしたが、今となればよい経験になったと思っています。それは、黒字になった途端、社員の表情が変わってくるからです。つくづくきちんと利益を出すことは大切だと感じました。
私は常々、住友電工グループを明るく楽しい会社にしたいと思っていますが、それは海外子会社での経験があるからかもしれません。
社会貢献と収益を上げるための正しい経営
私は会社にとって大切なことは次の2点だと考えています。
ひとつは、品質の良い製品をお客様に提供し続けること、すなわち製品を通じて社会に貢献すること。もうひとつは、収益をコンスタントに上げることです。そのためには正しい経営が必要だと考えています。私なりの言葉で言うと、「チェックは繊細に、決断は大胆に」となります。
長く原価計算などをやってきたので、私には細かいところまで見る習性があります。原価データだけではなく、お客様のデータ、設備のデータなど可能な限り手元に情報を集めて、いざという時はすぐに判断して決断する。それが経営だと思います。
お客様のためにどの製品を開発して伸ばしていくのか、ときには開発スピードを抑えることもあるでしょう。その判断はとても難しいのですが、だからこそ、さまざまな角度からチェックする必要があるのです。
住友電工グループは今年で120周年、堅実に成長してきた企業です。常に社会の役に立つ製品をお届けしようと、ものづくりに努めてきました。必ずしも、他人の真似をしたり、ベストヒットを狙ったりする必要はありません。今持っているものを少しずつ改良し、より社会に貢献できる製品を提供することも大切です。
お客様や株主、地域社会の方々、従業員にも喜ばれる経営とは、このように地道にコツコツと実績を積み上げていくことではないでしょうか。
PROFILE
井上 治 Osamu Inoue
1975年
住友電気工業(株)入社
1990年
Sumitomo Electric Wiring Systems, Inc.(アメリカ)駐在
2001年
同社自動車部長
2006年
住友電装(株)取締役・常務執行役員
2007年
住友電装(株)取締役・専務執行役員
2008年
住友電気工業(株)常務取締役
2009年
住友電気工業(株)取締役、Sumitomo Electric Bordnetze GmbH(ドイツ)社長
2012年
住友電装(株)代表取締役・執行役員社長
2017年
住友電気工業(株)社長に就任