高速大容量通信を担う革命的デバイス ~「GaN HEMT」、開発の軌跡~①

高速大容量通信を担う革命的デバイス ~「GaN HEMT」、開発の軌跡~①

「HEMT」とは何か?

5G時代を支える電子デバイス「GaN HEMT」。そのことに言及する前に触れておかねばならないのが、日本の高い技術力と研究者の豊かな創造力の輝かしい成果であり、情報通信技術の進歩に多大なインパクトを与えた日本発の技術「HEMT」についてだ。「HEMT」は「High Electron MobilityTransistor(高電子移動度トランジスタ)」の略であり、その名が示すようにトランジスタの一種である。1948年に米国・ベル研究所で発明されたトランジスタは、技術の世界にかつてないほどの衝撃を与えた。エレクトロニクス時代の幕開けを告げるものであり、コンピュータをはじめとする電子技術の急速な発展の礎を作ったデバイスである。トランジスタの機能の一つに、信号強度を大きくする「増幅作用」がある。たとえば「トランジスタラジオ」は空中を伝わってきた微弱な信号を、トランジスタが増幅してスピーカーを鳴らしている。

トランジスタは当初、ゲルマニウムで作られていたが、やがてそのほとんどは耐熱性の高いシリコンに置き換わった。そして1970年代、日本においてこのトランジスタの進化に向けた挑戦が開始された。着目したのは電子の速度である。従来のシリコン製トランジスタは、電子を発生させるための層と電子の走る層が同じ材料の中にあるため、電子が不純物にぶつかり速度が遅くなる。この課題を解決するために1979年富士通研究所で開発されたのが化合物半導体を採用した「HEMT」である。電子発生層にアルミニウムガリウムヒ素(AlGaAs)、電子走行層に高純度のガリウムヒ素(GaAs)の結晶を重ねて二層構造にすることで高速かつ高感度な電気信号の処理を実現できるデバイス構造である。1985年以降、世界各国の衛星放送受信機への搭載を皮切りに、携帯電話端末や基地局、衛星ナビゲーション用受信機、自動車衝突防止のためのミリ波レーダーなど、マイクロ波・ミリ波領域の各種装置で不可欠なデバイスとなり、現在に至るまで情報通信社会を支える基盤技術として貢献し続けている。この「HEMT」の技術的達成をベースに、より優れた材料物性を持つ窒化ガリウム(GaN)と組み合わせて、「GaNHEMT」は誕生した。その開発製造拠点となったのが、住友電工デバイス・イノベーション(株)(以下、SEDI)である。

窒化ガリウムの持つポテンシャルへの挑戦

住友電工デバイス・イノベーション(株) 代表取締役社長 長谷川 裕一
住友電工デバイス・イノベーション(株) 代表取締役社長 長谷川 裕一

携帯電話基地局の増幅器である高出力トランジスタの半導体材料は、第1世代(1G)のアナログ携帯時代はシリコンが採用されていた。そしてデジタル化が始まった1990年代前半の第2世代(2G)、住友電工グループは満を持してガリウムヒ素を用いたトランジスタ「ガリウムヒ素電界効果トランジスタ(GaAs FET)」を市場に投入。シリコンに比べ電子が5倍近い速度で移動し、消費電力が抑制できるトランジスタとして注目を集めた。だが、新たに登場したトランジスタ「シリコンLDMOS(Laterally Diffused Metal Oxide Semiconductor)」(以下、Si-LDMOS)が、特性や価格などすべての面で「ガリウムヒ素電界効果トランジスタ」より優位性があり市場を席捲、第3世代(3G)を牽引した。これにより、住友電工グループの電子デバイスは、市場において完膚なきまで駆逐されたのである。SEDIの代表取締役社長の長谷川裕一は、当時を「敗戦」と表現する。

「市場競争でSi-LDMOSに敗れた、文字通りの“敗戦”であり、事業存続の是非が問われるほど窮地に立たされました。そうした危機的状況の中、研究所で基礎開発が進められていた新たな化合物半導体の情報がもたらされたのです。それがGaN=窒化ガリウム。その特性はシリコンやガリウムヒ素よりも優位性を示しており、高出力かつ高速で電子デバイスへの応用が期待できるものでした。もはや選択の余地はなく、背水の陣で窒化ガリウムへの取り組みを開始したのです」(長谷川)

2000年、GaNの将来性に着目したSEDIの技術陣は「GaN HEMT」の開発に着手。現在、SEDIの製造技術部に在籍する西眞弘は、当時の開発メンバーの一人である。

住友電工デバイス・イノベーション(株) 電子デバイス事業部 製造技術部 第一技術課 マネージャー 西 眞弘
住友電工デバイス・イノベーション(株) 電子デバイス事業部 製造技術部 第一技術課 マネージャー 西 眞弘

「GaNの材料物性で衝撃だったのが耐圧(破壊電界強度)の高さです。シリコンの約10倍。また、徐々に電圧をかけた時にピークになる電子の速度である飽和電子速度もシリコンの2倍以上。高電圧動作が可能で高効率を得やすいという特長を有していました。さらに少ない消費電力で高出力を実現するなど、Si-LDMOSに対抗し得るデバイスになるポテンシャルを秘めていると感じました」(西)

同時期、「ガリウムヒ素トランジスタ」の復活に向けて悪戦苦闘していたのが、現在SEDIのプロセス開発部長である井上和孝である。

住友電工デバイス・イノベーション(株) 電子デバイス事業部 プロセス開発部 部長 井上 和孝
住友電工デバイス・イノベーション(株) 電子デバイス事業部 プロセス開発部 部長 井上 和孝

「ガリウムヒ素の構造を徹底的に突き詰め、その特性を最大限引き出した新たなトランジスタを生み出すことで、Si-LDMOSに奪われていた市場を奪回しようと考えていました。そして、突き詰めたからこそガリウムヒ素の性能限界を知り、窒化ガリウムの開発に参加したのです。しかしそれは誰も知らない未知の世界であり、ゼロから立ち上げる茨の道でした」(井上)

初期開発メンバー
初期開発メンバー

NEXT

高速大容量通信を担う革命的デバイス
~「GaN HEMT」、開発の軌跡~②

(3)