進化するマルチドリル〜マルチドリル、第二章の幕開け〜
超硬合金とコーティングの開発による三位一体の体制
設計開発と同時に進められたのが、新たな超硬合金の開発であり、コーティング開発である。超硬合金は硬度が高いゆえに柔軟性に欠け" もろい"という特性も併せ持つ。すなわち、使用環境によっては切れ刃の欠損、あるいはドリル本体が折れるというリスクを抱えていた。これらの課題をクリアするため、炭化タングステンとコバルトの最適な組成検討、また炭化チタンなどの添加材の研究をはじめとした超硬合金開発が進められ、より折れにくいドリルへと進化させている。
そして、マルチドリルの更なる長寿命化を目指して開発が進められたのがコーティング技術である。コーティングは端的に言えば、ドリル表面にセラミック薄膜を形成することで、高耐久性を実現するものである。ポイントになったのはセラミック薄膜の材料組成だった。ドリルを含む切削工具で常に求められるのは耐摩耗性および耐熱性の向上である。最初のマルチドリルに適用されたのは、炭化チタンと窒化チタンの組成を最適化して開発された炭窒化チタン。1990年代には、世界初のナノ多層技術を適用したZXコートを開発、飛躍的に超硬ドリルの性能を向上させた。その後、コーティングは進化を遂げていく。
「ZXコートのナノ多層技術に、クロムやシリコンなどの新たな材料を加えることで今もコーティングは進化しています。今後も、マルチドリルが多様な用途へ展開していくのと並行して、製品コンセプトに沿ったコーティング開発を進めていきます」(住友電工ハードメタル(株)合金開発部・瀬戸山誠)
設計・デザイン、超硬合金、コーティング、これら三位一体となった果敢な挑戦が、マルチドリルの進化に拍車をかけている。
多様化・高度化する ユーザーニーズに応える
マルチドリルは、市場や時代のニーズに合わせて着実な進化を遂げてきたが、その最初のブレイクスルーとなったのが、1990年代に生まれた「穴付きマルチドリル」である。これはドリル本体に切削液(水・油)を通す穴を設けたものだ。マルチドリルは、切りくずのスムーズな排出を実現したことが重要なポイントだったが、切削液をドリル先端の穴から噴出させることで切りくずの排出性をさらに向上させ、穴径の5〜10倍のより深い穴加工と更なる高能率加工を可能にした。これによりマルチドリルの用途は一気に拡大したのである。次に大きな進化の要因となったのが2000年に入って登場した「深穴ドリル」である。その名の通り、不可能とされていた穴径の20〜30倍の高深度穴あけを実現するマルチドリルだった。これらの進化は、多様化するユーザーニーズに的確に対応してきた結果だった。
その過程においても、多彩な取り組みを推進してきた。たとえば、自動車の燃費低減要請に伴う軽量化への対応がある。自動車の軽量化を実現する象徴的なものが鋼からアルミニウムへの転換だ。それに対応して、当初、鋼加工用として開発されたマルチドリルだが、さらなる高能率加工を可能にするアルミニウム用のマルチドリルが開発された。また軽量化に伴う部品小型化に対応し、最小径Φ0.03mm までのドリルの小径化も進められた。さらに、航空機部品に採用されるチタンなど難削材への対応を始めとし、住友電工グループは多様化する穴あけ加工ニーズに、的確かつ迅速に対応してきた。
一気通貫の生産体制を持つ強み 新たな市場の開拓へ
特許保有期間終了後、競合他社が追随してくることになったが、現在に至るまで国内外での評価、その市場優位性は群を抜いている。それは超硬ドリルのパイオニアであることに加え、一貫した生産体制を完備していることが背景にある。
「原料となる粉体の生産から、機械加工、コーティングまで、住友電工グループ内でマルチドリル製造を完結しています。それが高品質、高性能を生み出している原動力であり、一番の強みともいえます。またリサイクルにも積極的に取り組んでいます。原料となるタングステンの鉱山は中国に集中していますが、安定供給を目指すために、循環型のものづくりの実現を加速させています」(住友電工 ハードメタル事業部 事業部長・村山敦)
グループ内で一気通貫のものづくりができる体制を備えていることが、柔軟な製品開発戦略を可能としてきたが、ここへきて、マルチドリルの歴史の中でも画期的な新たな取り組みが始まっている。
「マルチドリルは、より高能率、高精度、高深度を目指して他社との差別化を図ってきました。この追求に終わりはなく、一層の高性能を目指していくことに変わりはありません。一方、私たちはマルチドリルのユーザー拡大、新たな市場へマルチドリルを投入すべく、新製品開発を進めました。長期的視点に立てば、これまでがマルチドリルの第一章とすれば、第二章の幕が今上がったといえると思います」(住友電工 執行役員・住友電工ハードメタル(株)社長・佐橋稔之)
そしてその新製品開発を託されたのが、入社以来、ほぼ一貫してマルチドリルに関わってきた、住友電工ハードメタル(株)デザイン開発部の神代政章だった。
新たなマルチドリル開発 高能率化から高汎用性まで
高能率化を追求してきたマルチドリルのユーザーは、従来、自動車メーカーをはじめ、いわゆる量産加工メーカーだった。新商品は、その考えを大胆に転換し、ハイスドリル主体の機械加工を行っている少量多品種加工メーカーをターゲットとしたものだった。
「市場が広い少量多品種加工メーカーにマルチドリルを採用してもらう、そのための製品が求められました。そこで、幅広い用途に対応できる汎用型ドリルの開発を目指しました。ポイントとしたのは低速加工で能率が下がっても、長寿命を実現すること。マルチドリルに関わってきた技術者として、集大成ともいえる取り組みでした」(神代)
神代には今回の新製品に先んじて、中国のユーザーニーズに対応したマルチドリル開発を進め中国市場に投入した実績があった。刃先処理の最適化など、その際に得られた知見も今回の新製品開発に活かされた。
こうして生み出された新たなマルチドリルは、2017年、新設された福島県の東北住電精密(株)で生産が開始された。この工場は、従来にない自動化と品質、データ管理を取り入れたIoTコンセプトの工場だ。汎用性の高いマルチドリルの新たな市場創出の試みであるが、現在、着実に新市場への拡大浸透が進んでいる。
「高能率ならびに高汎用性。当グループが提供するこれらマルチドリルに、機械加工の現場のドリルが置き換えられていくこと。そのこと自体が、生産現場にさらなる革新をもたらします。近い将来の生産現場のIoT化によるセンサー搭載工具への進化も見据え、穴あけ加工の世界に確かなソリューションを提供していきたいと考えています」(住友電工ハードメタル(株) デザイン開発部次長・阿部誠)
左から
神代政章 住友電工ハードメタル(株)デザイン開発部 ラウンドツール開発グループ 主席
高橋弘児 住友電工ハードメタル(株)デザイン開発部 ラウンドツール開発グループ
「刃先交換式ドリルの開発を担当しています。現在のテーマは高耐久性を実現する刃先の創出。自分が手がけたドリルを世の中に出すことが目下の目標です」
氷川遼 東海住電精密(株)技術部 設計・技術課
「ユーザー様におけるトラブルシューティングをしています。加工環境やニーズに応じ、加工の最適化を提案することで、お客様の機械加工現場の改善に寄与したいと考えています」
堤湧貴 住友電工ハードメタル(株)デザイン開発部 ラウンドツール開発グループ
「新製品の開発を担当しています。今のテーマは、加工する上でのマルチドリルの設計精度の向上。グローバルで確かなプレゼンスを発揮する製品開発を目指します」