煙害対策に生かされた住友事業精神
100年以上前から始まっていたサステナビリティ経営
明治期、別子銅山の急激な近代化で鉱業が拡大すると、製錬所から排出される亜硫酸ガスによる煙害で周辺の農作物が枯れはじめました。1893(明治26)年には農民による暴動が起こり、国会では、東の足尾鉱毒・西の別子煙害と呼ばれるほどの公害問題となりました。
これに対して第2 代総理事・伊庭貞剛は、煙害の抜本的な解決を目指し、製錬所のすべてを瀬戸内海の無人島である四阪島へ移転するという巨額の投資を敢行しました。一方で採鉱・製錬量の急増による樹木の伐採と煙害で荒れ果てた別子の山々には、「別子を自然の姿に返さなければならない」との信念から、毎年100万本を超える植林を行い、大自然の再生に全力を傾けました。
常に公益との調和を図る経営姿勢も住友の伝統であり、その根底には「社会への報恩」の精神があります。地域に還元しなければならない。この事業精神を伊庭貞剛は100年以上前に貫いたのでした。
この住友事業精神は、現在まで住友電工グループに連綿と受け継がれています。地球温暖化や資源の枯渇、自然災害の甚大化などが社会課題となっている現在、住友電工グループは、2022 年4 月にサステナビリティ経営に関する基本方針を制定し、地球環境に優しく、安全・安心で、快適さや社会の成長につながる価値を提供していくグループの姿勢を示し、企業行動を推進しています。