「Fear(恐れ、恐怖)」を 乗り越えるためにすべきこと
「住友電工が放射光の産業応用を研究する組織を立ち上げる。合流しないか」。大学の研究室の先輩が声をかけてくれていなかったら、私は学者として人生を歩んでいたはずです。実を言うと、博士課程で核融合の研究をしていた当時、就職した修士時代の仲間が、「つらい」だのなんだのと言いながら、いきいきと仕事の話をすることを内心羨ましく感じていました。「自分ももっと直接的な社会貢献がしたい」そんな思いに駆られて入社を決めたのです。
播磨研究所に配属されると、「若い人にも責任を持たせて仕事を進めさせる企業文化がある」と聞いていた通り、すぐにビームライン*¹ の企画設計から完成までを任されました。その後もSPring-8(スプリングエイト)*²の活用推進の準備といったプロジェクトを経験する中で、「企業における目的基礎研究とは何か」を体得していきました。播磨研究所では、まだ世間に知られていない研究段階のものをいかに事業化するか。どのように社会に還元していくか。つまり「ゼロを1にする」ための模索を続ける毎日でした。研究員たちはアイデア出しのためにいつも必死に情報をインプットしていて、私もビジネス書を読み漁っていました。
「Fact (既知の事柄), Faith(仮説), Fear (恐れ、恐怖)」という未来洞察のセオリーを知ったのもこの頃です。ここで言う「Fear」とは「知らないことすらわかっていない」ということ。新しいことを始めるにはこの「Fear」を乗り越えなければならず、そのためには「これまで接したことがなかった人や組織と対話」するしかない。「ゼロを1にする」ためにどうあるべきか。これはその答えだと確信しました。しかし後年、それがいかに困難か身をもって知ることになるとは思ってもみませんでした。
*1:ビームライン:放射光を利用するための設備
*2:SPring-8:兵庫県の播磨科学公園都市にある世界最高性能の放射光を生み出すことができる大型放射光施設
シリコンバレーの憂鬱な金曜日
その後、横浜研究所での光部品の開発を経て、2008 年に研究企画部に配属になりました。米国、INNOVATION CORE SEI, INC.(ICS)への赴任を打診されたのは翌2009年春。与えられたミッションは、「世界の実験場であるシリコンバレーで、新規ビジネスを開拓せよ」というもの。それは、社長直轄プロジェクト「住友電工の30 年後を考える取り組み」で私自身が提言した「実証事業を推進する事業」にほかならなかったのですが、正直、まさか自分がアサインされるとは思っていませんでした。
ICS への赴任後まず取りかかったのは、インテルが主導していたパソコンやテレビなどデジタル家電機器間で使用する次世代通信規格Light Peak(後のThunderbolt)の開発への参入。最初は社名すら覚えてもらえず「SUMIMOTO」と呼ばれる始末でしたが、無理にでも話題を作って営業のメンバーと一緒に毎週金曜午後にアポイントを入れて訪問。それを何ヶ月も続けました。カジュアルフライデーが根付いていることもあり、訪問しても会えないこともありました。それでも決めたからには行く。モチベーションはそれだけで、金曜日があんなに憂鬱だったことはありません。
そんなある時、先方の開発品に不具合が発生したことを知り、その場で「解決策を検討したい」と提案。以前所属していた光通信研究所に相談したところ、わずか2週間足らずで解決策を提案できました。それがきっかけとなり、インテル側の研究者を何人か紹介してもらい良好な関係が構築できました。さらに「撚線で生じる問題を極細同軸線で解決できる」という提案が評価され、プロジェクトで最初のベンダーとして住友電工が起用されました。多様な技術シーズを持ち、関係部署が速やかに連携して対応できる住友電工グループの総合力の賜物。そう実感しました。
共感しながら協創する「人の和」
もうひとつ、金曜日に自分に課していたことが、ネットワーキングイベントへの参加です。リーマンショックの真っ只中にもかかわらず、シリコンバレーには独特の活気がありました。イベントがどこかしらで開催されていて、初対面のエンジニア同士がグラス片手にオフレコ情報を交換し合う。そんな光景が当たり前でした。人見知りの私は行くまでは憂鬱なのですが、行ってしまえばお酒が入り饒舌になれるので楽しい場所でした。
当時は、後にGAFA(Google, Apple,Facebook, Amazon)と呼ばれる巨大IT 企業がスタートアップを吸収合併しながら急成長中で、インドや中国のエンジニアが大量に雇用されていました。サンノゼの公道では、ある企業が自動運転の実験をしているのを見かけたことも。今で言うPoC(概念実証)であり、新しい事業が生まれる最初期の段階です。それはまさに私たちがやろうとしていたことで、あの「Fact, Faith, Fear」の「Fear」への取り組みです。気づけば「ゼロを1にする」ための答えを、シリコンバレーで実践していたのです。外へ出て、人と出会い、やろうとしていることを語り、相手の本音を真剣に話してもらう。この「初めての人や組織との対話」からすべては始まっていたのです。
昔、大学時代の恩師から、「天の時、地の利、人の和」*³ と薫陶を賜りました。いまだ成らずですが、一貫して実践してきたつもりです。「人の和」とは、「仲良しクラブ」ではありません。一人ひとりがやりたい事、信念を持ち、自己研鑽しながら共感をもって力を合わせていく姿のことです。
住友電工がサステナブルに成長していくには、高い能力を持った人材が共感しながら協創する「人の和」が重要であり、そういう活動が新しい事業を生み出していくのだと私は考えています。
*3:「孟子」の言葉。天の与える好機も土地の有利な条件には及ばず、土地の有利な条件も民心の和合には及ばないとする
PROFILE
片山 誠
1993年
入社
1993年
電力システム技術研究所電磁応用システム研究部
1993年
播磨研究所
2000年
横浜研究所光通信研究部
2005年
光通信研究所光部品研究部光精密実装グループ長
兼 解析技術研究センターフォトニクス解析グループ
2008年
研究企画部
2009年
INNOVATION CORE SEI, INC.(米国)社長
2016年
研究企画業務部連携推進室長
2019年
研究企画業務部企画部長
2021年
研究企画業務部次長
兼 研究企画業務部企画部長