住友人物列伝

住友人物列伝

広瀬宰平
~住友繁栄の礎を築く~

第一通洞の南口(1881年 撮影)。軌道が敷かれ、人車(トロッコ)で荷物が運搬されていた様子がわかる。写真提供:住友史料館
第一通洞の南口(1881年 撮影)。軌道が敷かれ、人車(トロッコ)で荷物が運搬されていた様子がわかる。写真提供:住友史料館
第一通洞の南口(1881年 撮影)。軌道が敷かれ、人車(トロッコ)で荷物が運搬されていた様子がわかる。
写真提供:住友史料館
広瀬宰平
広瀬宰平

明治時代以降、住友家は飛躍的な成長を遂げました。その礎を築いたのが初代総理事・広瀬宰平です。広瀬は1865年、38歳で別べっ子し銅山の支配人に就任しました。明治維新の際には、新政府による接収の危機に直面しましたが、「別子銅山は住友家が独自に経営してきたもの」と訴え、1873年には新政府から正式に別子銅山の永続経営が許可されました。また、日本では初めてダイナマイトを用いた採掘を導入し、産銅量を大幅に増加させるなど、銅山経営の再建にも尽力しました。これらの功績により住友家の基盤が守られ、さらなる発展への道が開かれました。

その後1877年に広瀬は住友家総理代人となり、明治期の大阪財界においても大阪株式取引所や大阪商法会議所の設立に貢献するなど、重要な役割を果たしました。また、民間人として初めて勲章(勲四等瑞宝章)を受章したともいわれています。広瀬の経営手腕と革新性は、住友の事業拡大に大きく寄与しました。

さらに、従業員を大切にし、働く環境の改善にも注力しました。この「人を大切にする経営」により、住友は安定した組織文化を築き、後の成長の基盤ともなりました。広瀬の功績は商業的成功を超え、日本経済の近代化にも貢献し、企業経営の在り方に影響を与えたといえるでしょう。

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